自動車リサイクルの歴史

不法投棄

2005年に自動車リサイクル法が施行されてリサイクルに関するルールが決まりました。

 

このルールが決まる以前のリサイクルにはどのような歴史があったのか?調べてみました。

 

自動車リサイクルのルーツ

 

自動車リサイクルの起源は1923年に起こった「関東大震災」と言われています。

 

関東大震災の時に損傷した多くの車を修理するためにリサイクルが行われました。

損傷した自動車の修復、整備には多くの部品が必要になり、当時の車の大半は欧米製で部品が高価で入手が難しかったため損傷が大きな車は廃車にして使える部品を損傷の少ない車を修復するのに使ったと言われています。※日本ELVリサイクル機構から引用

 

廃車が急増した時代

 

不法投棄

 

1955年頃から日本は高度成長期に突入し年々自動車の生産台数が増えていきました。

 

1980年代には100万台以上の車が生産されるようになり、その後も生産台数が増え続けてついには年間400万台以上の自動車が生産されることになります。

 

生産される車が多いということは、処分される車も多くなっていったということが考えられます。

 

昔の廃車方法では車両重量の80%がリサイクルされ残りの20%がゴミとして埋め立てられていました。
年間400万台も生産されてその分廃車にされる車も増えて行き、結果、埋め立て処分をする場所が不足して処分する費用も高騰して行き廃車の不法投棄が増え環境汚染の原因となっていきます。

 

自動車リサイクル法の制定

 

自動車が増えることによる処分場の不足、処分費用の高騰に伴い、不法投棄の増加となり何かしらの対策が必要となりました。

 

そこで、制定されたのが「自動車リサイクル法」です。

 

環境省の資料によると、2003年(平成15年)3月時における「不法投棄等又は違法な保管状態にある使用済自動車の台数」は16万8806台、そのうち保管基準違反(野積み等)が12万2779台(全体の73%)、不法投棄・路上放置が4万6027台(27%)となっていた。回収および適切な処理をせずに放置された多くの自動車が、鉛や廃油、廃液などの有害物質とともにわれわれの生活環境に大きな影響を及ぼすことが懸念される。また、近年、産業廃棄物の最終処分場の残余地は逼迫しており、最終処分費が高騰し逆有償化現象が起きている。逆有償とは、資源ごみの需要に対して供給量が過剰となり、回収物が売却できず、引き取り料を支払うという現象である。それを嫌う所有者や負担を逃れる業者等による不法投棄が多発し、大きな社会問題、環境問題となっていた。 コトバンク> ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典> 自動車リサイクル法とはから引用 文[田中 勝]

 

新車購入時にリサイクル料金を前払いして、最終的には自動車の最終持ち主がリサイクル料金を負担することになります。

 

リサイクル料金は自動車メーカー、車種によって1台ごとに違いがあります。


自分の車の最高額を知りたい方は一括査定

ズバット一括査定

廃車の処分にお困りの方はカーネクストの査定がおすすめです。

カーネクスト リンク画像

自分で車を廃止にするのは少しさびしいものです。思い出の詰まった愛車を自分の手でスクラップにするのは悲しいものです。多少のヘコミや傷、動かなくなった車でも廃車一括査定をすれば買取りや無料で引き取ってくれる業者さんは必ず見つかります。ご自分で廃車にする前にまずは無料査定で車の価格を調べることをおすすめします。
トップへ戻る